
以前、舞台挨拶のことを書いて感想は改めてとかいいながら書いてなかった感想の方です。
ネタばれになる前に、見終わったときの感想を書いておくと、「えぇ〜っ、その結末でいいの?」という感じ。正直、ユリの選択には納得できないですが、そのおかげで見終わった後とてもモヤモヤした気分になります。
ここからはネタばれに入ります。
あらすじは、
とある田舎町のフェリー乗り場で働く津木野ユリ(大政絢)は、幼馴染
の秋山和博(佐野和真)以外の他人とのかかわりを避けて、ひっそりと
暮らしていた。それは、彼女が特殊な能力を持っていたからだった。そ
の能力は時間を戻すことができるというものだ。しかし、それを使うと
片目の視力を失い、使った相手の記憶もなくなってしまうのだった。和
博以外の人の前では決してはずそうとしない眼帯は、彼女が過去に1度
その能力を使ったことがあることを示していた。
そんなある日、ユリの前にクォン(竹財輝之助)が現れる。クォンは
誰かに追われていた。そして、クォンもまた特殊な能力を持っていた。
特殊な能力を持つがゆえに孤独なクォンにユリは惹かれていく...
この映画のテーマである、「究極の愛」、「自己犠牲」を表現するために、ユリが能力を使う代償として、視力を失うことと相手の記憶がなくなる(というか、時間を戻すので当然なくなる)という設定がされています。自己犠牲としてこの2つのうちの視力を失うというところにフォーカスが当たりがちですが、それよりも見ていてつらいなぁと思うのはむしろ相手の記憶がなくなる方でした。
ユリは結局2人の男性、和博とクォンのためにこの能力を使ってしまうのですが、自己犠牲といいつつ、この2人では意味合いが違います。
和博に対しては、時間を戻すことで恋人でなくなってしまうのですが、それでも幼馴染としての交流は残ります。無償の愛といいつつ、永遠の別れになるところを避けることができるわけで、完全に無償ではないのです。
ところが、クォンに対しては結局時間を出会う前まで戻してしまうので、クォンの記憶の中からユリの記憶が完全になくなってしまう。残っている片目の視力を犠牲にして、クォンの死を避けることが出来ても、結局ユリはクォンと永遠に別れることになるのです。本当にそれでい
いんだろうかと疑問に思ってしまいました。
fjmovie.comに載っているインタビュー(http://www.fjmovie.com/main/interview/2008/11_tadaai.html)
で絢ちゃんが語っているのによると、この疑問を持つのは男性が多いようで、取材などでも男性のインタビュアーからよく質問されるそうです。このあたり、この映画を見た女性に意見を聞いてみたい気がします。
ただ、よくよく考えてみると、実はそんな難しい話ではないのかもしれません。目の前で愛している人の命が奪われた時、もし助けることが出来る手段を持っていたなら、余計なことを考えずその手段を使ってしまうのではないか。そのようにも思います。
いずれにしろ、この映画を見た方は、最後のユリの選択についていろいろ考えさせられると思います。
あと、大政絢ちゃんって、やはり陰のある役が合いますね。同世代の女優でこういう陰のある暗い役をやらせたら一番じゃないでしょうか。